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鹿沼トーチカ2 Shikanuma Pillbox 2 |
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↑ トーチカの正面(砲眼側) | ||||
2011年8月13日に、厚真町教育委員会の乾哲也様・奈良様・宮下様、元苫小牧市博物館館長の佐藤一夫様とご一緒に、現地を探索しました。藪漕ぎすること約1時間で、無事このトーチカを見つけることができました。ありがとうございました。 | ||||
厚真町では、2018年9月6日木曜日午前3時8分ごろ発生した地震で震度7を記録。土砂崩れや家屋の倒壊が相次ぐなど甚大な被害となりました。被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興をお祈りいたします。 当ページをご覧になっている皆様、ふるさと納税の仕組みを使い、返礼品無しで被災地に寄付ができる「ふるさとチョイス災害支援(北海道厚真町)」というページが開設されました。皆で厚真町を応援しましょう。 |
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←↑ 砲眼 | |||
もともと、敵に発見されないように、砲眼以外は隠されていたことや、戦後の長い年月で土砂が流入していたことで、このトーチカを見つけるのは難しかった。 トーチカの所在地については、香川正八様(故人)の先行研究のおかげで、おおよその場所が分かっていても、今回探し出すのには苦労した。 当然ながら、このトーチカから射撃しない限り、敵に存在を知られることはないであろう。 現在、このトーチカの背面出入口は完全に塞がっているので、内部を確認するためには、砲眼から匍匐して入るしかない。 |
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↑ トーチカの内部(砲座と砲眼) | ||||
内部は横幅3mの空間で、砲眼の位置や大きさなどから、このトーチカに設置する火砲は、九二式歩兵砲と推測される。香川正八様の著書『太平洋戦争当時の勇払平野の防御陣地』では、(九二式歩兵砲を固定するための)「駐鋤(ちゅうじょ)溝が無く、欠陥掩体」と書かれているが、ご覧の通り、土砂が堆積しているため床面を確認することはできなかった。また、他の多くのトーチカには天井に換気口が設けられているが、このトーチカには無かった。 | ||||
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←↑ 九二式歩兵砲 | |||
WIKIMEDIA COMMONS | ||||
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↑ トーチカの内部 | ||||
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↑ 砲眼 | ||||
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↑ トーチカの内部 | ||||
背面出入口は土砂で完全に塞がれている。右奥に見える小部屋は、砲側弾薬庫。 | ||||
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↑ トーチカの砲側弾薬庫 | ||||
天井に、支保工の木材が残っているが、ここから下向きに多数の釘が飛び出しているので、頭上注意。土砂が堆積しているため、かがんだ姿勢から立ち上がると頭に釘が刺さって致命傷となる。このトーチカにおいて最も危険な個所である。 | ||||
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↑ 背面出入口 | ||||
肥料袋らしきものが混じった土砂で完全に塞がれている。調べてみると、2001年6月28日撮影の空中写真で、トーチカの背面あたりの森林が伐採され、農地を造成しようとした様子が確認できた。その際に、埋め戻したのではないかと思われる。ただし、現在は農地ではなく元の山林に戻っている。 | ||||
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↑ 背面出入口の上部 | ||||
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↑ トーチカの位置関係 | ||||
実戦には至らずに終戦を迎えたが、「もしもこの地で戦闘が行われていたら・・・」をシミュレートしてみた。![]() 1945年の玉音放送のレコード盤が、戦争継続を望む一派に奪われ、そのまま悪夢の本土決戦へ。九州・四国・本州に、米軍を主体とする連合国軍が次々と上陸し泥沼の戦いとなっている間に、北海道占領を目論むスターリンの指令で、樺太及び千島列島方面から北海道本島へ向けてソ連軍が侵攻。各地で道民が総動員され、決死の抵抗が始まった。樋口季一郎第5方面軍司令官は、後のベトナム戦争さながらのゲリラ戦術での抵抗を各部隊へ指示。そんな中、ソ連軍の一部が勇払平野から上陸を開始した。厚真川~鵡川間の海岸から上陸したソ連軍の部隊は、橋頭堡を確保するために、三宅沼周辺の丘陵地帯(標高20m程度)を攻略しようとするが、対戦車壕がT-34戦車の前進を阻む。そこへ、「鹿沼トーチカ2」の九二式歩兵砲が放つ榴弾によって、T-34戦車に随伴する歩兵が倒される。随伴歩兵を失い死角が増えたT-34戦車が北上を試みると、今度は「鹿沼トーチカ1」と「浜厚真金山線トーチカ」に備え付けられた山砲によって挟み撃ちにされ、爆発した。スターリンの野望が失敗する中、本州・四国・九州の日本軍は米軍に降伏。この状況に、樋口司令官は、米軍による進駐を条件に北海道の部隊の降伏を決断。日本は敗れたものの、北海道のソ連編入は阻止された。 ![]() 以上、1945年夏に終戦とならなかった場合に考えられる結果のうちの1パターンを挙げてみたが、戦争が長引けば、北海道がソ連領にされるといった最悪な結果も想定される。 もともと米軍との決戦を想定して防御陣地が築かれたわけだが、終戦が遅れれば、戦う相手は米軍ではなくソ連軍になったに違いない。戦後の世界史をふりかえると、ソ連に編入されたり影響下に置かれ、共産主義の社会となった地域では、もれなく全ての民衆が地獄のような苦しみを味わっている。北海道がもしもソ連や中国、北朝鮮のようになっていたらと考えるとゾッとするであろう。現在、日本の周囲には、日本の領域を狙う危険な国家が複数存在している。国家の役割の中で国防が最重要なものであるにもかかわらず、一部のマスメディアによる偏向報道や反日左翼団体の活動によって、わが国では国防に対する理解が十分ではない状況となっている。このまま、国防をおろそかにして、再び防御陣地を築かなければならないような国家存亡の危機を招いてはならない。世界平和を望む日本こそ、自衛隊の果たす役割をしっかりと憲法の条文に明記して、堂々と戦争や戦闘を抑止できる力を確保し、周辺国の軍事的暴走を防ぐ発言力を持つべきであろう。 |
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