十勝海岸の防御陣地  Defensive Position in Tokachi Coast

  十勝川河口陣地  Tokachigawa Estuary  クリッカブルマップ
 現存するトーチカ埋没・海没・消滅したトーチカを示す。(矢印の長さは機関銃の射程)
 ※トーチカ名は便宜上のもの。複数ある場合には北東側から順に番号を振った。砲陣地から延びる黄色の線は、75mm砲の射界を示す。
 豊頃町  浦幌町
大津海岸トーチカ
Ohtsu-Seashore Pillbox
トイトッキ浜トーチカ2
Toitokki-Beach Pillbox 2
トイトッキ浜トーチカ1
Toitokki-Beach Pillbox 1
ラヱベツブトトーチカ
Raebetsubuto Pillbox
十勝太トーチカ
Tokachibuto Pillbox
  大樹骨幹陣地  Taiki Strongpoint  クリッカブルマップ
 現存するトーチカ埋没・海没・消滅したトーチカを示す。(矢印の長さは機関銃の射程)
 ※トーチカ名は便宜上のもの。複数ある場合には北東側から順に番号を振った。 支撐点 (しとうてん)や砲陣地から延びる黄色の線は、75mm砲の射界を示す。
 広尾町  大樹町
豊似川河口トーチカ
Toyonigawa-Estuary Pillbox
小紋別トーチカ1
Komombetsu Pillbox 1
旭浜トーチカ1
Asahihama Pillbox 1
浜大樹トーチカ9
Hamataiki Pillbox 9
当縁川河口トーチカ
Touberigawa-Estuary Pillbox
エツキサイ南トーチカ1
South Etsukisai Pillbox 1
小紋別トーチカ2
Komombetsu Pillbox 2
旭浜トーチカ2
Asahihama Pillbox 2
浜大樹トーチカ10
Hamataiki Pillbox 10
浜大樹トーチカ1
Hamataiki Pillbox 1
エツキサイ南トーチカ2
South Etsukisai Pillbox 2
小紋別トーチカ3
Komombetsu Pillbox 3
旭浜トーチカ3
Asahihama Pillbox 3
歴舟川河口トーチカ1
Rekifunegawa-Estuary Pillbox 1
浜大樹トーチカ2
Hamataiki Pillbox 2
野塚川河口トーチカ1
Nozukagawa-Estuary Pillbox 1
小紋別トーチカ4
Komombetsu Pillbox 4
旭浜トーチカ4
Asahihama Pillbox 4
歴舟川河口トーチカ2
Rekifunegawa-Estuary Pillbox 2
浜大樹トーチカ3
Hamataiki Pillbox 3
野塚川河口トーチカ2
Nozukagawa-Estuary Pillbox 2
海軍 広尾飛行機不時着陸場
Naval Emergency Landing Field
旭浜トーチカ5
Asahihama Pillbox 5
歴舟川河口トーチカ3
Rekifunegawa-Estuary Pillbox 3
浜大樹トーチカ4
Hamataiki Pillbox 4
新生川河口トーチカ
Shinseigawa-Estuary Pillbox
エツキサイ北トーチカ1
North Etsukisai Pillbox 1
旭浜トーチカ6
Asahihama Pillbox 6
歴舟川河口トーチカ4
Rekifunegawa-Estuary Pillbox 4
浜大樹トーチカ5
Hamataiki Pillbox 5
野塚防霧林トーチカ
Nozuka-Woods Pillbox
エツキサイ北トーチカ2
North Etsukisai Pillbox 2
旭浜トーチカ7
Asahihama Pillbox 7
旭浜防霧林トーチカ1
Asahihama-Woods Pillbox 1
浜大樹トーチカ6
Hamataiki Pillbox 6
野塚海岸トーチカ
Nozuka-Seashore Pillbox
エツキサイ北トーチカ3
North Etsukisai Pillbox 3
旭浜トーチカ8
Asahihama Pillbox 8
旭浜防霧林トーチカ2
Asahihama-Woods Pillbox 2
浜大樹トーチカ7
Hamataiki Pillbox 7
楽古川河口トーチカ
Rakkogawa-Estuary Pillbox
エツキサイ北トーチカ4
North Etsukisai Pillbox 4
旭浜トーチカ9
Asahihama Pillbox 9
旭浜防霧林トーチカ3
Asahihama-Woods Pillbox 3
浜大樹トーチカ8
Hamataiki Pillbox 8
立岩トーチカ
Tateiwa Pillbox
エツキサイ北トーチカ5
North Etsukisai Pillbox 5
     
 
 1944(昭和19)年の夏から秋にかけて、歩兵第28連隊を中心に、十勝海岸において水際防御作戦用の陣地構築が行われた。具体的には、汀線直後の段丘にコンクリート製トーチカを築き、機関銃による斜射・側斜ができるようにした。また、翌年5月からは、歩兵第26連隊を中心に、十勝海岸から大樹にかけて陣地の縦深化がなされたが、実戦を経験することなく終戦をむかえた。

  十勝海岸では、幸いにも戦後の開発によるトーチカの破壊撤去が最小限に抑えられているため、現在でも多数のトーチカが汀線付近に残存している。砂浜に多数のトーチカが転がる様子は、ノルマンディーを彷彿とさせるかもしれない。ただし、それらのトーチカは、もともと敵の艦砲射撃に狙われぬよう段丘の上部に隠されていたものが、海食崖の後退により、次第に姿を現し、そして崖下へ転落したものである。すでに波間や砂の中に消えていったトーチカも多い。
 2012年春には、エツキサイ南トーチカ2が崖上から落下した。2013~14年には、すぐ隣のエツキサイ南トーチカ1も落下した。2014~16年には、エツキサイ北トーチカ2も落下した。2020年には当縁川河口トーチカも落下した。真下まで浸食が進行しているエツキサイ北トーチカ3が落下するのも時間の問題であろう。その他にも、歴舟川河口トーチカ1、歴舟川河口トーチカ2なども、目の前の海岸が消波ブロックで保護されていないため、そう遠くない将来に、落下の危機に瀕すると考えられる。見学の際には、落下のおそれのあるトーチカには接近しないようにご注意願いたい。
↑ 崖下に転落した野塚川河口トーチカ1(その後埋没。)
↑ 崖下に転落した新生川河口トーチカ1(その後海没。)
↑ 崖下に転落しそうなエツキサイ北トーチカ3と、すでに転落したエツキサイ北トーチカ2
↑ 近い将来、浸食被害が及びそうな歴舟川河口トーチカ1・2・3(番号は北から順にあてたもの)
↑ 1945(昭和20)年5月中旬頃における道東地区の防御陣地と主要部隊の配置
 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面陸軍作戦<2> -千島・樺太・北海道の防衛-』(1971)のP365、挿図三十九を参考に作成。
■回想                                                        ▼ クリックで開閉 ▲
 ---第七師団参謀部所属 西岡正さん---
 十勝の海岸に残る防衛陣地「トーチカ」を構築する計画は、道東防衛を担当した旧陸軍の第七師団(当時帯広)参謀部が、1944年1月から3か月間で策定した。参謀部で働いた西岡正さんによると、砲兵や工兵の連隊長が毎晩集まり、アメリカ軍の上陸を阻むため、トーチカの形状や配置、資材などを討議。同年3月末までに計画をまとめ、北部方面軍(札幌)の司令部に報告した。トーチカは当初、鉄筋コンクリート製を想定したが、物資不足で調達が困難と判断。北部方面軍に提出した計画書の段階では、コンクリートだけで造ることになった。南は広尾、東は根室、北は網走管内常呂までの広範囲に、最低で計48カ所の構築が必要と判断された。ただ「実際に造った数は、作業に携わる現地責任者の連隊長などが判断し、地形や効用などを考慮。かなりの増減があった。木製のトーチカもあった」(西岡さん)。道東全体では、計画当初の数倍が造られたとみられる。
 各トーチカの構築位置は、波打ち際から200メートルを基準とした。正面には弾を撃つ穴「銃眼」を設置。内部に置く火器は主に軽機関銃を予定。強度面は、「最大で直径10センチの榴弾砲に耐えるように」(西岡さん)、コンクリートの厚さは1メートル以上に設定した。
 十勝毎日新聞(2003年6月26日)の記事より引用
 ---第七師団工兵第七連隊第三中隊所属 谷久さん---
 谷久さんは1944年、大樹町内の沿岸で夏から秋にかけ、主にコンクリートを木枠に流し込む作業を担当した。工兵は50人いた。材料はセメント、玉砂利、砂で、別の供給部隊が現場に運んできた。まずは基礎造り。地面に四角形で深さ1メートルの穴を掘り、コンクリートを流し込む。暑い夏で乾くのは早かったが、自然乾燥で3日はかかった。その上に木の枠を組み、コンクリートを流し込んで側面を造り、最後に上部のふたを造る。銃眼だけが見えるように土をかぶせ、草を植えて隠す。
 谷さんは「1つのトーチカは1週間以内で完成させた。早く終わらせたいから作業も雑で、セメントの中に20センチの石もじゃんじゃん入れた。いいかげんじゃった」といい、「『こんなもの実戦で役に立たん』と言い合った。鉄筋なしだからね。負け戦とも分かっており、作業に身が入らなかった」と振り返る。
 十勝毎日新聞(2003年6月27日)の記事より引用
 ---1944(昭和19)年に築城に携わった歩兵第28連隊第7中隊附中尉 日比野透さん---
 中隊は所命陣地の後方に幕営して作業に任じた。夏ころ、方面軍司令官が参謀を連れて視察にきた。10月ころまでに完成せよということであったが、そう簡単にできそうにもなかった。地盤が固く、十字鍬が少なく、また爆薬も少なく、作業がなかなか進まなかった。銃眼孔を低くするためには深く掘り下げねばならず、終わりには人力で投土できなくなったので、石垣軍曹考案によるウインチを用い馬力で土砂を運びだし、また一輪車を作って土砂捨てに使用した。材料は鉄材がないのですべて木材を使用した。築城材料は陣地後方の森林を伐採し、徴用した馬車で運搬し、コンクリート掩蓋の上にも十分遮断層を入れた。作業は雪の降るころまで続けられた。
 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 北東方面陸軍作戦<2> -千島・樺太・北海道の防衛-』(1971)のP263より引用
■年表                                                        ▼ クリックで開閉 ▲
1940(昭和15)年12月 北部軍司令部が札幌に設けられ、第7師団等を隷下に編入し、北部軍が編成された。北部軍司令部は、樺太・北海道(千島を含む)・青森県・岩手県・秋田県・山形県の防衛及び隷下部隊の動員・教育等を担任した。
1941(昭和16)年12月8日 日本軍がマレー半島に上陸、ハワイ真珠湾にも奇襲攻撃し、太平洋戦争が勃発した。
1942(昭和17)年6月5日 ミッドウェー海戦で日本軍が大敗し、これ以後戦局は米軍が優勢となった。
1943(昭和18)年2月5日 大本営は、北部軍を改編し北方軍とし、従来の北部軍の任務のほか、アリューシャン作戦を担任させることとした。
1943(昭和18)年5月14日 第7師団に動員下令。(編成完結は5月27日)
1943(昭和18)年5月17日 北方軍は第7師団に、沿岸防御強化のため、それまでほとんど配兵のなかった道東地区へ一部兵力の派遣を命じた。派遣部隊は以下のとおり。
♦網走支隊・・・捜索第7連隊より乗車1小隊、速射砲1分隊
♦釧路支隊・・・歩兵第28連隊補充隊より歩兵1小隊、宗谷要塞重砲兵連隊より重砲兵1小隊
♦根室支隊・・・歩兵第28連隊補充隊より歩兵2小隊、宗谷要塞重砲兵連隊より重砲兵1小隊
1943(昭和18)年5月24日 北海道に戦時警備下令。
1943(昭和18)年5月29日 アッツ島の日本軍守備隊が全滅。(大本営発表で初めて「玉砕」の表現が使われた)
1943(昭和18)年6月25日 軍令陸甲第58号により、特設警備隊の編成が発令された。
 道東方面では、特設警備第315中隊〔興部〕、〃第316中隊〔紋別〕、〃第317中隊〔湧別〕、〃第318中隊〔網走〕、〃第319中隊〔根室〕、〃第320中隊〔釧路〕、〃第321中隊〔襟裳岬〕が編成配置された。(編成完結は7月25日)
 特設警備隊の編成定員は、中隊が126であるが、常置人員は将校、下士官数名程度で、兵員は必要に応じ在郷軍人を防衛召集とした。 装備の主体は小銃で、各銃の弾薬は30発程度しかなく、戦力として期待できるものではなかった。
1943(昭和18)年7月29日 北海守備隊のキスカ島撤退。これにより、アリューシャン列島・千島列島方面から米軍が北海道へ進攻する危険性が増大した。
1943(昭和18)年9月30日 絶対国防圏が設定された。
1943(昭和18)年11月15日 『島嶼守備部隊戦闘教令(案)』・・・敵上陸部隊を洋上・水際で撃破する戦術。主陣地を海岸線に築くよう手引き。
1943(昭和18)年11月16日 軍令陸甲第107号により、第31警備隊・第32警備隊の編成が発令された。(編成完結は12月7日)
 第31警備隊は、道東北部地区(網走支庁及び浜頓別以南の宗谷支庁)の警備を、第32警備隊は道東南部地区(根室、釧路國、十勝支庁)及び国後島、色丹島、歯舞群島の警備を任じられた。(その後、国後島・色丹島・歯舞群島への1個大隊の配置は中止となった。)
 警備の重点は、第31警備隊が美幌・女満別の海軍航空基地、第32警備隊が根室・釧路であった。
1944(昭和19)年1月 特設警備隊を増設。道東方面では、特設警備第327中隊〔浜頓別〕、〃第302大隊(乙)〔根室〕、〃第331中隊〔霧多布〕が編成された。
1944(昭和19)年2月 北方軍が第5方面軍に改編された。
1944(昭和19)年3月 第5方面軍が第7師団に道東への移駐を命令した。
1944(昭和19)年3月25日 留守第7師団が編成完結し、第7師団より北海道本島の防衛任務を継承した。
1944(昭和19)年3月27日 留守第7師団を第77師団に改編発令。(編成完結は4月18日)
1944(昭和19)年4月初め 第5方面軍が第31警備隊・第32警備隊に築城費を交付し、道東地区の沿岸築城を開始させた。
1944(昭和19)年5月6日 第5方面軍は、第7師団より部隊を派遣し、第31警備隊・第32警備隊による道東の沿岸築城を援助。派遣部隊は以下のとおり。
♦第31警備隊の築城援助・・・歩兵第28連隊、輜重兵第7連隊の1小隊
♦第32警備隊の築城援助・・・歩兵第27連隊(1大隊欠)、輜重兵第7連隊
1944(昭和19)年5月15日 第5方面軍は、道東(網走・根室・釧路・十勝支庁管内)を第7師団の作戦地域とし、第31警備隊と第32警備隊を第7師団長の指揮下に編入した。道西は第77師団の作戦地域とした。
1944(昭和19)年6~7月頃 この頃の敵情判断として、アリューシャンの米軍が、北千島を攻略せずに、直接南千島や北海道本島に侵攻する危険性があるとして、大別して次の2パターンを想定した。

(1)道東または南千島方面に上陸・侵攻してくるパターン
 帝都爆撃の基地設定として、道東では計根別飛行場群が目標とされ、根室または釧路に主上陸を、網走及び十勝地区に一部を上陸させると予測。
→考えられる上陸正面は、(A)根室及び標津海岸、(B)釧路及び大楽毛海岸、(C)十勝海岸、(D)網走海岸の四つがあり、第7師団は、(A)・(B)から計根別へ向かうものを第一に、次いで(C)から帯広に向かうものを重視して、防御陣地の築城を行なった。


(2)勇払海岸に上陸・侵攻してくるパターン
 北海道の死命を制する目的をもって、札幌を目標とすると予測。
(但し、一旦道東を占領したのち、状況により来攻する公算の方が多いと判断)
1944(昭和19)年7月6日 第77師団及び留守第7師団の臨時動員。
1944(昭和19)年7月7日 サイパン島が陥落し、絶対国防圏が崩壊した。これ以降、米軍はマリアナ諸島をB29の基地として整備を進めた。北海道を除く日本本土の大部分がB29による爆撃可能エリアとなってしまった。
1944(昭和19)年7月18日 第5方面軍司令官が兵団長会同を開き、第7師団長・第77師団長・留守第7師団長・第1飛行師団長・樺太兵団長に対し、北海道本島の防備強化の構想を示達し、沿岸築城を命じた。第7師団は道東地区の、第77師団は勇払平野の防御陣地築城を命じられた。
1944(昭和19)年7月26日 第7師団は、第5方面軍の北海道本島防備強化方針に基づき、師団主力をあげて沿岸築城の急速強化に当たる旨、各部隊に命令した。これを機会に各地区に築城費が示達され、コンクリート製トーチカや洞窟陣地の構築が本格化した。
作業担任区分
網走地区  第31警備隊
根室地区  第32警備隊
釧路地区  歩兵第27連隊主力、山砲兵第7連隊第3大隊基幹
十勝地区   歩兵第28連隊、歩兵第26連隊及び山砲兵第7連隊の各一部基幹 
1944(昭和19)年7月29日 第5方面軍が戦車第22連隊〔盛岡〕を動員。秋頃に帯広に進出させた。(軽戦車18輌、中戦車34輌)
1944(昭和19)年8月19日 大本営が『島嶼守備要領』(大陸指第2130号別冊)を示し、水際より後退した位置に主陣地を築くことを可とした。
→主陣地を海岸から適宜後退した地域に選定し、米軍の猛烈な砲爆撃に耐えて長期持久できるよう堅固に編成して、その上陸に際しては海上、水際、海岸等でできる限り多くの損害を与えるとともに、反撃部隊を縦深に配置して弾力性のある防御戦闘により撃滅するという内容。
1944(昭和19)年9月5日 留守第7師団の一部をもって道東地区の築城作業を援助。 
1944(昭和19)年10月 『上陸防御教令(案)』・・・水際防御を捨て、敵上陸部隊を内陸の縦深陣地で撃破する戦術。主陣地を後退配備するよう手引き。
1944(昭和19)年冬期 第7師団が十勝地区に対する作戦指導要領を次のように固めた。
♦水際から大樹付近にわたり数線に及ぶ拠点陣地を堅固に編成し、敵の来攻にあたっては彼我混戦状態を作為し、この間主力を集中して敵軍を撃滅する。
→すでに7月より第5方面軍に命じられた水際陣地を築城中であるが、この要領に基づく陣地の増強・縦深化は、翌年5月に開始。
1945(昭和20)年2月11日 第5方面軍の兵団長会同。
要点の一部
♦独立混成第101旅団(第31警備隊・第32警備隊から編成予定)を第7師団長の指揮下に編入する。第7師団は、同旅団の一部をもって根室を確保させるとともに、旅団主力を標茶におき、標津、根室及び釧路方面に随時出動できる態勢におくものとする。
♦第147師団は第77師団から苫小牧正面の沿岸防御と道西南部地区の防衛を継承する。第77師団は方面軍予備となり、旭川、滝川地区に集結し随時出動しうる態勢にあたるとともに道西北部地区の防衛に任ずる。
1945(昭和20)年2月28日 軍令陸甲第34号により次の発令。
♦道東地区の第31警備隊〔網走〕・第32警備隊〔根室〕を増強合一して独立混成第101旅団を編成する。(3月27日編成完結/人員5,696名)→主力は標茶地区に移動。
♦留守第7師団を基幹として第147師団を編成する。(6月4日頃編成完結/人員17,240名)
♦第33警備大隊〔根室〕を基幹として第8独立警備隊を編成し室蘭の防衛を強化する。(3月27日編成完結/人員1,085名)
♦旭川師管区部隊を編成する。(4月7日編成完結)
1945(昭和20)年3月16日 『国土築城実施要綱』・・・敵上陸部隊を水際陣地で拘束し時間を稼ぎ、その間に後方で待機している機動打撃部隊を送り込み、決戦を挑むことを前提に、築城を手引き。
同日、第7師団が各部隊の警備担任地域を次のように変更。

警備担任地域
 根室支庁  第32警備隊(まもなく独立混成第101旅団に)
 ※根室半島については、同旅団の独立歩兵第459大隊を第7師団直轄の根室地区隊とし担当させた。
 釧路国支庁  歩兵第27連隊
 十勝支庁  歩兵第26連隊
 網走支庁  歩兵第28連隊
1945(昭和20)年3月26日 硫黄島陥落。
1945(昭和20)年4月1日 米軍が沖縄本島へ上陸・侵攻。
1945(昭和20)年4月 この頃の敵情判断として、米軍が北海道本島へ侵攻するパターンを次のように想定。
(1)陸上航空基地を獲得しようと、道東の計根別付近を目標に、3~4個師団を投入してくるものと予測。上陸正面は主として標津、状況により釧路と判断。
(2)北海道の死命を制する札幌を占領しようと、勇払平野を上陸地点に選定し、5~8個師団を投入してくるものと予測。
(3)津軽海峡の突破並びに米作戦軍艦艇の泊地確保を目的として、内浦湾岸の森付近を上陸地点に選定し、1~2個師団を投入して津軽要塞を背後から攻略してくるものと予測。併せて若干の部隊を長万部付近に上陸させ、札幌及び小樽方向から来る日本軍の増援を阻止してくるものと予測。
(4)宗谷海峡の突破を目的として、宗谷岬東方の猿払付近及び樺太南端の西能登呂岬付近を上陸地点に選定し、2~3個師団を投入してくるものと予測。
1945(昭和20)年5月1日 第147師団に転用発令。(第147師団は千葉県茂原で終戦を迎えた)
1945(昭和20)年5月7日 独立混成第101旅団〔標茶〕を苫小牧方面(勇払平野)に転用発令。
その後、歩兵第28連隊〔北見〕の主力が標茶に移動。同連隊第2大隊が東部網走支隊として網走支庁管内東半部の守備を担当。根室地区隊は、独立歩兵第460大隊が担当することに変更。
1945(昭和20)年5月13日 第7師団は、『昭和20年度第7師団築城計画』を示達し、既設陣地の増強ならびに十勝海岸から大樹、忠類にわたる地域及び武佐岳山麓における築城実施を命令した。 十勝海岸から大樹にかけての陣地の縦深化は歩兵第26連隊が担任した。
1945(昭和20)年5月14日 米軍の進攻を南九州及び関東と推測し、第77師団の南九州転用発令。(第77師団は鹿児島県加治木で終戦を迎えた) この頃米軍は「Operation Downfall (ダウンフォール〔滅亡〕作戦)」---11月1日に南九州へ上陸・進攻する「Operation Olympic (オリンピック作戦)」と、翌年3月1日に関東地方へ上陸・進攻する「Operation Coronet (コロネット作戦)」からなる---を予定していたので、日本軍の推測は正しかった。
1945(昭和20)年6月23日 沖縄本島陥落。
1945(昭和20)年6月30日 第5方面軍が『防御作戦準備要綱』を完成。・・・北海道本島での上陸軍に対する決戦の地を、東部では計根別平地、西部では苫小牧平地(勇払平野)と想定。
♦計根別平地方面では、第7師団が主力をもって計根別西北方地区及び釧路地区を確保、一部をもって標津付近の汀線陣地を保持することとした。
♦苫小牧方面では、独立混成第101旅団及び軍管区教育隊の主力をもって苫小牧北側高地より早来にわたる間を確保、一部をもって苫小牧付近汀線陣地を保持することとした。
♦それぞれの方面に敵の上陸があった場合は、約4週間で他の部隊が集中し、決戦を挑むこととした。
1945(昭和20)年7月14日 北海道空襲。(~7月15日)
1945(昭和20)年8月6日 米軍が広島に原子爆弾を投下。
1945(昭和20)年8月9日 ソ連が対日参戦。米軍が長崎に原子爆弾を投下。
1945(昭和20)年8月15日 玉音放送。
1945(昭和20)年9月2日
日本が降伏文書に調印し終戦。
■更新履歴・外部リンク                                ▼ クリックで開閉 ▲
■更新履歴
  2012年8月10日 公開 ⇒ 2018年8月6日 リニューアル
■外部リンク
  『戦史叢書 北東方面陸軍作戦<2>-千島・樺太・北海道の防衛-』
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